いつかはここで暮らしたい

今年度から『国東に暮らす』〜移住者ブログ〜に投稿していきます越名秀樹です。
当ホームページ「国東つながる暮らし」立ち上げから関わらせて頂き、
また「地域の人々」に登場する『E 武渓の会』にて事務局をさせていただいております。
愛知県長久手市から大分県国東市に移住し、早いもので10年目を迎えました。
移住を考えられている方々に少しでもお役に立つ情報や、大分県国東市の魅力も交えながら
国東暮らしの経験談などを掲載していきたいと思います。よろしくお願いします。

愛知県春日井市にあるニュータウンで育ち、
20歳ごろから隣の隣、長久手市で一人暮らしを始めました。
ニュータウンは、ちょうど自分が小学生になる頃から家がすごい勢いで立ち並び、
同級生も多く中学校は1学年9クラスもあり、途中から新設校が建つほどでした。
新しい家、たくさん立ち並ぶ団地、歴史が浅いので伝統行事などは一切ない所でした。
長久手市は、自分が住み始めた頃は長久手町で小牧・長久手の戦いが行われた歴史ある地で、
この地が2005年に開催された愛・地球博(日本国際博覧会)から一気に街の様子が変わり、
新しい町と歴史が融合する名古屋市のベッドタウンとして大人気で住みよい素敵な街でした。
店舗施工会社、デザイン事務所、最近CMも流れる大手印刷会社に出向を経て
26歳から独立しグラフィックデザイン事務所を立ち上げました。
海外旅行に行く為に仕事をしていた生活だったので結婚などは全然考えていませんでした。
しかし、仕事で打ち合わせに行くカメラスタジオで働いていた妻と出会い、
なぜか一気に話が進んでいきました。
婚約が決まり、妻のお父さんにはじめて連れて来られたのが大分県国東市
九州は沖縄しか行ったことがなく、この結婚がなければおそらく
大分県やまして国東市の地も訪れる事はなかったと思います。
お父さんが高校まで育った地で、おばあちゃんが自分達が結婚する数年前まで
住んでいた国東市。



はじめて訪れた時に、
すごく空気がゆっくり流れているのを感じ
いつかはこんな場所で暮らしたいと思うほどでした
おばあちゃんの家が残っており、結婚してからは毎年夏に旅行を兼ね
1〜2週間ほど訪れるのが楽しみでした。

長久手でマンションを購入し、子ども3人授かり40歳近い頃、
同級生達もほとんどが結婚し家を持っており、自分も遅ばせながら家を持ちたいと
考える様になるのですが愛知県長久手市は人気の地。家を建てようと思うと、
土地代が坪50万円以上とかなりのもの。
そこで思えてきたのが、1度限りの人生、愛知県でしか暮らした事がないままで良いのか?
もっといろんな地で暮らしてみてもと思い、いつかはここで暮らしたいと思った地への
移住を本格的に考える様になりました。
夏休みに訪れた時に目にした、ハイテクニュータウン向陽台。
電線もない高台にある空の広いニュータウンで、空港にも近く土地代がなんと長久手市の
10分の1以下! 1区画100坪前後!
これなら家を持つ夢も叶えられると思い、
向陽台で土地を仮押さえし友人の設計士と共に家を考え、移住する事を決意しました。
三女が小学校に上がる年
長女が5年生、次女が3年生と3人で一緒に学校に通え心強いと勝手に思い
に移住をすることにきめ、移住をする2−3年前ほどから本格的に話を進めていきました。
ニュータウンなのでさほど難しい事もないとは思いましたが、向陽台事務所の人に話を聞いたり
国東市のホームページなどでいろんな情報を入手していきました。

この情報を入手している時に新たな出会いが!                                 つづく


国東市では新たに
『そらにわの丘』分譲地販売中!
全28区画 60〜99坪 
2,673,300円より
https://www.city.kunisaki.oita.jp/soshiki/machizukuri/soraniwa-gaiyou.html