Uターンの視点 / 01
初めまして、今年度から地域支援サポーターの委嘱を受けました、谷と言います。
Uターンして15年目、現在はフォトグラファーをしながら家族と暮らしています。
















©️Megumu Takasaki 

今は、地元国東で生まれ育ったことや暮らしていることに対して誇れるようになりましたが、昔から大好きだったかというとそうではありません。むしろ、嫌でした。地元の不便さ、早く都会へ出たいという憧れは強かった方だと思います。

高校を卒業してからは、福岡へ出て保育や福祉を学ぶ学校に進学。元々、服飾の仕事に対しての興味があり、ユニクロでバイトをしながら学校に通っていました。保育士と幼稚園教諭の免許を取得し、教育の道へ行こうとは考えていましたが、服飾関係の仕事を諦めきれず、1年ほどセレクトショップの販売員として社会人一年目をスタートしました。しかし、夢と社会の現実、仕事に対する自身の姿勢に折り合いがつかず、地元に戻ることとなりました。

帰省してからは、国東市の臨時職員として保育士の仕事から再スタートしたのが、23歳の頃。約15年ほど前のことでした。遊びにくにも車がないと出られない、長時間の運転、地元には両手で数えれる程度の同級生しか残っておらず、また都会に出ようかなと心の中で考えていました。

そんな中でも、子どもたちが一つひとつ成長していく姿を間近で感じながら、地元で何か自分にも出来ることはないだろうかと考えるようになりました。

偶々、家で畑仕事を手伝う機会があり、自分でトウモロコシを育ててみることに。雑草かトウモロコシの芽か分かりませんでしたが、いつの間にか畑に行くのが楽しみになっていました。芽が出ていた日はめちゃ嬉しくて、今でも覚えています。形から入るタイプでもあり、ファッション関係の仕事をしていた頃の服を着て園芸をしたら面白いんじゃないだろうかと思い、道具にも拘ったり、父の耕運機を塗装してみたりしていました。

田舎でも面白いことができるじゃん!と、ZOZOTOWNの前身であるZOZOPEOPLEというSNSで、ファッションじゃなく園芸のことをブログで書いていると、段々と国東での暮らしに興味を持ってくれる人が増えてきました。インターネットのおかげで田舎での暮らしも面白くなってきたそんな頃にNHKの趣味の園芸で僕の暮らしを紹介してくれる機会を受けました。家の畑というほんの何気ない場所が、僕にとっての表現の場になっていきました。そこから段々と海外の園芸や有機農業、自然農などにも興味を持つようになり、都会での暮らしでは感じられなかった田舎ならではの自然の豊かさを実感できるようになってきました。

ここから、子どもたちとの関わりや地元国東のことについてもより考えるようになっていきます。
この続きは、また来月。