自然と歴史、現代アートがある旭日の里山を散策してみませんか!
– 旭日地区の史跡 –

萱嶋信任翁の村を思う強い信念と英知のたまもので造られた。「嫁に行くとも綱井に行くな」と言われるほど米の収穫の少ない村であったが、この池の完成により、米の良く実る豊かな村となった。1783年(天明3年)完成。
国東町綱井

上治郎丸区にある阿弥陀寺跡。元久2年(1205年)、都荘坊入道(小山田行重)が本尊三体を鎌倉より奉持し、この地に寺を建立しました。木彫りの阿弥陀像は、修復を繰り返しながら今も大事に守られています。
通りから境内を繋ぐめがね橋は、阿弥陀堂建設の初期、江戸時代中期のものです。架設部は矢筈型の溝工法で施工されており、橋の上からは分かりづらいですが、大変美しいアーチを描いています。工事の修復をしたことがないということです。
また、この地は、曹洞宗の祖といわれる通幻禅師生誕の地としても知られ、子育て幽霊の話が今も地域に伝わっています。
国東町治郎丸2389-3

上治郎丸区。連碑。この地は近年までお薬師様と呼ばれており、近隣の人々がお詣りしていた。この山肌に、高さ2m、幅3.2mの12面の板碑がある。(市指定有形文化財)。風化が激しく碑文の判読は不明であるが、薬師如来をお守りする12神将が彫られてあったのではないかと推測される。傍らには庚申塔も祀られている。
国東町治郎丸1464

上治郎丸区。山神社の御神木いすのき。市の天然記念物に指定されています。 樹齢800年のいすのきは、近郷にはない古木である。境内の裏を少し登った先にあり、静けさのなか、あたりは神聖な雰囲気が漂っています。
国東町治郎丸1424

旭日地区を一望できる祇園山山頂の祇園様から裏手に降りる道筋にある竹林。
もともとみかん畑だった場所を利用した竹林の小道は、とても幻想的な雰囲気である。
国東町綱井3031

下治郎丸。耕地整備の記念碑や道路整備の記念碑とともにある庚申塔(こうしんとう)。
青面金剛や三猿、鶏などが彫られた国東半島独特の庚申塔は、ひとつのアートとしても大変見ごたえがあります。旭日地区の至るところにも存在しているので、ぜひ探してみてください。
国東町治郎丸664-1

国東半島宇佐地域世界農業遺産に認定された、旭日地区のため池連携システムの中核を担う重要なため池です。築造は、県耕地課の資料によると江戸末期となっていますが、実際は江戸中期以前に遡ると思われます。
この池の下流に位置する迫池、平尾池の水量が不足した場合は美迫池より補給できるようになっています。池を一周するウォーキングコースもあり、季節ごとに素晴らしい景観が楽しめます。              国東町綱井2077-1

1873年(明治6年)創業の古い造り酒屋です。西の横綱という意味で名づけられた『西の関』は全国に名を馳せた銘酒です。明治から大正にかけて建てられた仕込み蔵、米蔵等ほとんどの建物が平成10年に国登録有形文化財に指定されました。
酒かすを使用したスイーツや甘酒、オリジナルグッズのバッグや前掛けなど、お酒を飲まない方にも喜ばれるお土産品が揃います。
国東町綱井392-1

1213年11月10日武蔵郷椿八幡宮の御分霊を奉祀創立。岸本城主重藤遠江守義元の崇拝鎮守であったが、1286年廃城となり、社も堂宇破損のままであった。1648年黒田と早馬の森に光り輝くものがある。林のなかを探すと黒雄社という3文字を刻んだ石体と尊像があった。さっそく尊像を祀ったが、不思議にもこれまで耕作至難とされていた黒田の沼も泥土が固まり耕作も容易となったのみか、五穀豊穣、これこそ黒雄社御神徳の賜りと、いよいよ信仰を厚くした。
国東町重藤260

厳粛な雰囲気のお堂からは、十王様が、人々の行いを厳しくも温かく見守っているかのようです。
石造十王坐像十躯、石造阿弥陀三尊及び六地蔵像一躯、石造倶生神立像(阿形 吽形)二躯、石造地蔵菩薩坐像一躯、石造地蔵菩薩一躯が祀られている。大分県指定有形文化財。
国東町重藤492

1108年6月28日神託により綱井村森の林に鎮座しました。
1333年頃、時の国守、大友貞宗の軍船が嵐により遭難すると、この村に住む家臣の森喜左衛門という者が「この陸地に四柱の神あり、祈願すれば難を免れるであろう」と主従ともに祈願すると、嵐は収まり難を逃れたといいます。
また、元文三年(1738)の長い干ばつによる凶作の際は、村民老若男女問わず社頭に連日参篭(さんろう)し祈願したところ、十二夜に渡り雨が降り続け、かろうじて飢饉を免れたといわれています。
神徳深い伝説を多く残す天神社への、地域の人々の厚い信仰心は、今も受け継がれています。
※参篭…神社や仏堂などへ参り,一定の期間昼も夜もそこに引き籠(こも)って神仏に祈願すること。
国東町綱井740-1